読書

  • 永井玲衣の『水中の哲学者たち』を読みました。

    哲学することは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく。揺さぶられ、混乱し、思考がもつれて、あっちへこっちへ行き来する。これは朝に目を覚ましたときの感覚に似ている。世界に根ざしながら、世界を見ることはいかにして可能だろうか。(引用:「まえがき」より)

    朝の通勤ラッシュと労働がつらい。

    このつらさの原因は一体何なのか、この本を読んでようやく分かったような気がする。周囲の速さについていけないからだ。電車の乗り換え、質問されて回答するとき、頼まれた仕事に取り掛かるときetc… 必ず速さを求められる。しかもその速さは的確さの上で成り立つことが大前提とされている。思考と答えにも速さが必要な世界なんだ。新自由主義的な資本主義に支配された日常。そんなの当たり前じゃんと思われるかもしれない。でもわたしの場合こういった速さに遭遇するたびに、その事実に絶望する。あまりにも速すぎる。もっと効率よく。問いは許されない。世界は「そういうもん」になっている。でも果たしてそうだろうか。

    わたしはわたしのリズムでどこをどうやって歩くか考えたいし、言葉を探したいし、選びたい。それこそ「わたしの人生は、わたしが決められて、本当だと思っていることにも、本当に?と思っていい」。そして知らない誰かにも、そうであって欲しいなと願う。あなたのことをもっと気にかけたい。

    だからこそフィクション作品のコミュニケーションや対話の描写に希望を抱いている。この本には人との哲学対話の様子が書かれているけれど、こんな風に人と話していいんだということを思い出した。本当に忘れていた。日常の些細な出来事、漠然とした考え、空想の話。ままならない、まとまらない自分とあなたがいてもいい。

    すぐに形にして的確に伝える言葉は鋭利になっていないだろうか。もっとやわらかくて、弱い自分とあなたが存在していることを思い出そう。考えよう。哲学しよう。

  • 『ユリイカ2021年1月号 特集=ぬいぐるみの世界』をKindleで読みました。

    http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3517

    ぬいぐるみの存在は言語と規範から逃れること、ぬいぐるみを身に纏うことで自分を主張すること、アニメやドラマなどの映像作品・漫画や小説に登場するぬいぐるみに込められたストーリーを想像すること etc…

    様々な視点から語られる「ぬいぐるみ」という存在についての言葉はどれも新鮮で、面白かった。

    一番こころに残ったのは『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の著者である大前粟生さんの言葉と、

    新井素子さんへのインタビューである。

    私は子どもの頃と比べれば、ぬいぐるみとしゃべることは無くなった。どちらかといえば、猫に向かってしゃべることが多くなった。でも仕事からクタクタで帰ってきたときは「疲れた〜」と言いながら少しだけぬいぐるみを抱きしめることはある。そのときにぬいぐるみの目を見つめると、何かを言っているように見えるのだ。私を慰めるような目をしながら、何かを。

    でもその“何か”をこちら側が定義するのは暴力的ではないのか?と思って、結局すぐに目を逸らしてしまう。私とぬいぐるみの関係はそんな感じだ。だからこのお二人の言葉がよりいっそう心に響いたのかもしれない。

    なぜ人はぬいぐるみを愛すのか。あなたにとってぬいぐるみとはどのような存在なのか。

    私の場合、ぬいぐるみを愛するとまではいかないけれど、でもできればあなたの好きな距離感でこれからの私も見守っていてくれたら嬉しいなとは思っている。

  • 群像2024年2月号 高瀬隼子さんの「新しい恋愛」を読んだ。

    https://gunzou.kodansha.co.jp/indexes/2023

    主人公には、優しい姉夫婦と明るい姪っ子、いつか結婚するであろう恋人がいる。絵に描いたような“普遍的で幸せな日常”。

    しかしその一方で、主人公を取り囲む「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」は自己の生活や境界線にジリジリと侵食してくる。

    好意を持った相手に「困ったときはいつでもそばにいてあげたい」「守りたい」「世界を敵に回しても君の味方でいる」と言われると冷ややかな気持ちになるとか、映画を一緒に観ると我慢できる涙まで流してしまうとか(そして「お互いの涙を見て拭って笑う」までがセットになっている)そういう「ロマンティック」とされるものに対する不信感や不気味さみたいなものをリアルに描いていたのがよかった。

    「わたしは、欲しい言葉を差し出せる人ではなくて、欲しくない言葉を突き付けてこない人と、暮らしていきたいのだ」(21頁)

    主人公は↑こう思っているのだけれど、後半からは「ロマンティック・ラブ・イデオロギー」のオンパレードです。本当の恋を見つけることは素晴らしい!それって愛してるってことじゃん!周りを見ればロマンティックだらけ。そんな、どこにも逃げられない状態を、サイレンに喩えたのは上手いなと思った。

  • 『科学者の社会的責任』を読んだ。

    https://www.iwanami.co.jp/book/b378357.html

    研究結果が社会にもたらす影響、科学者の社会的責任を複数の視点から捉え直すという内容。
    報道のあり方、公共空間を育てる技術文化の醸成、リベラルアーツとシティズンシップの話も出てきたけど、この本が書かれたのって2018年なんだよな(東日本大震災についての記載もある)。
    今の日本の社会状況は悪くなるばかりか、これに出てくる「土壌を耕す」すら出来てない。

    「公共空間の課題では、既存の組織の壁を固定したうえで組織の責任を追及するだけでは問題が解決できない。第6章でも議論したように、固定された組織の責任を考えることにとどまらず、その組織や制度をどのように変えれば当該問題がおこりにくくなるのかを皆で考えることが重要となる。(79頁)」

    「リベラルアーツは、ただ多くの知識を所有しているという静的なものではない。自ら思考する力が必要となる。自分とは異なる専門や価値観をもつ他者と対話しながら、他分野や異文化に関心をもち、他者に関心をもち、自らのなかの多元性に気づいて自分の価値観を柔軟に組み換えていく。そのような開かれた人格を涵養するのがリベラルアーツ教育である。(82頁)」

    「リベラルアーツ教育は、じつはシティズンシップ教育とつながっている。シティズンシップとは市民性を指し、市民が市民権を責任もって行使することを指す。市民をたんなる経済活動の中の受動的アクターとしてみるのではなく、能動的な主体としてみる見方である。(83頁)」

  • 言葉たりえないものを表現すること 〜 『詩を書くってどんなこと?』

    https://www.heibonsha.co.jp/smp/book/b427760.html

    若松英輔による本『詩を書くってどんなこと?』を読んだ。この本は平凡社が出している「中学生の質問箱」シリーズのひとつである。いわゆる「素朴な疑問」に対して、その筋の専門家が丁寧に答えてくれる。物事をわかった気でいる大人(私のこと)が読んでも面白いです。

    「詩ってなんだろう?」という漠然とした疑問が生まれたのは、ゲーム『魔法使いの約束』をプレイしてからだ。

    私の推しは世紀の天才学者と謳われたムル・ハートなのだが、彼の話す言葉は哲学的で、知的で、情熱的で、聞いていると胸がざわざわしてワクワクする。彼と初めて(ゲーム内で)邂逅したとき、「あなたはきっと、私に失望なさるでしょう。それでも、あなたと友人になれたなら、私はとても嬉しい」と言われたことを何度も思い出す。なんと詩的な表現なんだろう。

    そもそも失望されるってどんな気持ちになるんだろう。「それでも、」の後に続く言葉に、どんな切実さや願いが込められているのだろう。もしも私がムル・ハートのように、何かを詩のように表現することができたならどんな気分になるのだろう。そんな疑問から『詩を書くってどんなこと?』を読み始めた。

    この本には「詩を書くことはまるで、言葉というスコップで、人生の宝物を探すようなもの」であり、「ほかの誰のものでもない、自分にとっての「ほんとう」の何かを探す旅」と書かれていた。確かにこの考え方はムル・ハートが言っていた「人生は旅さ! 二度と出会えない素敵なものに、 あふれてる」に通ずるところがある。 そして「詩」は言葉では容易に語れない何かを表現しようとする試みであり、「詩情」は言葉では語り得ない何ものかを受け取ろうとするこころのありようを表しているそうだ。

    人は「愛」とは何かを知らないのにこの言葉を用いるし、「愛」という言葉を使わずにそれを表現することもできる。「花」と言われたときに、どんな花を想像するかは人によってぞれぞれ違う。 私たちは自分の感じていることはきっと言葉にならない、そう思わざるを得ない経験を生きている。でも書くことによって、言葉たりえないものに近づいていき、より深めていく。書くという営みはそういうもので、それが分かればすでに詩人なのである。 私がこの世に言葉を留めておきたいと思う気持ちも、人の言葉や物語に救われる気持ちも、詩になり得るということが分かった。 最後はムルの詩的な言葉を引用して終わります。

    この世のすべては自己探求のためにあるのさ。俺の知恵も、俺の好奇も、俺の情熱も、俺の魂のありかを知るためにある。きみも感じて、聞いて、味わって、触れて、世界と戯れながら、自己を探求して。きみの世界に、きみの魂の感性以上に、大事なものなんてないんだからね。

    (引用:『魔法使いの約束』ムルの親愛ストーリー【意地悪な探求者】7話)