読書

  • 古田徹也『言葉なんていらない?』を読みました。

    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784422130125

    言葉って不思議だ。
    使う人の立場や関係性、状況などによって、脆くも強くもなる。言葉によって救われることもあれば、傷付けられることだってある。わたしたちは言葉によって一喜一憂し、惑わされてしまう。
    それじゃあ、“言葉なんていらない”のか?

    この本は言葉とそれが持つ作用について徹底的に解説されており、何気なく生まれた上記のような問いに対する答えが全て詰まっている内容だった。

    例えば、クローズドな集団(生活形式を深く共有している「近い」者同士)の中で交わされるハイコンテクストなコミュニケーションや言葉は、何を意味するかやそれをどう使用するかによって、「より力や権威のあるほうが主導権を握りやすく、立場の弱い者はそれに付度して従う状況に置かれがち」になる場合がある。
    そういった状況に陥らないためにも、外部の人間と言葉を交わして、相対化させる視点も必要と書かれていて深く頷いた。

    相対化させる視点との繋がりで、下記文章も印象に残った。

    私たちの発話は、物事に特定の角度から光を当て、そこに浮かび上がる特定の相貌(=特徴、側面、表情)を際立たせる、いわばライティングとしての役割を果たしている。その意味では、言葉は、発話というライティングのための主要な資源である (引用:P97)

    何かに触れたときに、ついつい「すごかった」で片付けてしまうことがあるから…。
    別の角度から考えて発話する作業をここでは「ライティング」と表現していて、目から鱗だった。写真でも光を当てる角度によって、見え方は変わってくる。「〈まずは思いや考えがそれとして存在し、次に、それに言葉を当てはめる〉というような明確な順序があるわけではないのだ。(P.118)」とあるように、自分の中で初めから輪郭を持って言葉が出てくる訳ではない。発話しながら言葉が形成される場合もある。

    言葉を考えるってすごく大事なことだなと改めて思った。

    説明が非常に分かりやすかったし、シリーズ「あいだで考える」を全巻集めたくなりました。


  • 勅使川原真衣『職場で傷つく』(Audible)を聴きました。


    https://www.daiwashobo.co.jp/book/b10080547.html

    職場内における個人の「傷つき」と、組織の問題に目を向けた本です。
    わたしは現在の職場環境と人間関係で非常に悩んでおりまして…。
    そんな中、偶然目に入ったこちらの本をAudibleで聴いてみたのですが、「え?わたしの職場のことを言ってる!?」と思わず口に出してしまうくらい具体的な事例が紹介されていました。

    出来て当たり前の発想が強く、失敗があった場合に激しい叱責や非難
    全体的に人員不足
    余裕がなく、目の前の仕事をこなすのに精一杯
    机上で決定した日程は綱渡り日程でミスが許されない
    何とか力業で乗り切った日程が実績となり、無茶苦茶な日程が標準となる

    (引用:「自分で考えろ」と「傷つき」)

    頷くことしかできない。普段頭の中でふわっと「うちの職場ってこんな感じだよな〜」とイメージしていたことが、こうもハッキリと言語化されていることに驚いた。これを見るとわたしって傷ついていたんだなと思う。

    そして「職場で傷ついた」と言えないのは何故なのかという解説の中で、組織の問題を個人の「能力」の問題にすり替えていると分析されていました。

    職場の傷つきを個人の「能力」の問題にするとどんな「いいこと」があるのか?

    ・組織の責任回避
     組織が責任をもって解決すべき問題にならないですむ

    ・「問題社員」の排除
     特定の〈弱い〉〈できの悪い〉社員を「評価・処遇」することで実質的に排除できる

    ・無限に努力する社員の創出
     「問題社員」にならずに「活躍」しつづけるためにはがんばらねばならないという認識を植えつけることができる

    当てはまりすぎてこわい。今まさに自分がこのような状況だからこそ、こういう客観的な言葉が必要だった。
    そして能力主義は「断定」「他者比較」「序列化」によって人を傷つけるとも書かれていた。何もいいことがないですね。
    というか社会全体が資本主義と能力主義でできているなと改めて感じた。
    でも、それじゃあこの荒波にもまれるしかないのか?と聞かれたら、そんなことない!って言える人間になりたい。

    この本では「傷つき」を見て見ぬふりせず、意見を出し合い、個々人のズレを小刻みに解消するという問題解決方法が提示されてました。
    正直、それが出来たら苦労しないよ!と思いました。
    確かにタイトルにも「リーダーのための「傷つき」から始める組織開発」と書いてあったから、経営者向けではある…。
    経営者に一番読んでほしい本だということに間違いはない。

    なんかこの本を聴いて、漠然と「仕事辞めたい」と思ってたのが「◯◯という理由で辞めたい」に変わった。明確になった。
    せっかく組織内での解決策を提示してくれてる本なのに、うちの会社の人間はこの本を読まないし、変わらないだろうなという諦念がある。

    でも自分の「傷つき」に気付くきっかけにはなったので、いい本だと思いました。

  • 金原ひとみ『ナチュラルボーンチキン』(Audible)を聴きました。

    仕事と動画とご飯というルーティン。
    それが私で、私の生活だ。自分には何もない。(本文より)

    毎日同じ時間に出勤退勤し、同じようなご飯とサブスク動画を詰め込む「ルーティン人生」を送る、45歳一人暮らしの「兼松書房」労務課勤務・浜野文乃(はまのあやの)。ある日、上司の指示で、「捻挫で三週間の在宅勤務」を続ける編集者・平木直理(ひらきなおり)の自宅へ行くと、そこにはホストクラブの高額レシートの束や、シャンパングラスと生ハム、そして仕事用のiPadが転がっていて――。(引用:書籍ページのあらすじより)

    金原ひとみの作品に初めて触れたのですが、言い回しの豊富さと着眼点に驚かされました。
    主人公・浜野文乃のルーティンに雁字搦めになって、新しい出来事に心を乱されたくない気持ちの描写が現実(リアル)すぎて… 分かる… 分かるよ…と思いました。

    あと、この物語を聴いたときに、淡々としながらも鋭い切り口で、日常の何気ない描写と過去の出来事を吐露する浜野文乃のことを愛しいなと思う瞬間が何度かありました。
    相容れない部分は所々あるけど、わたしは浜野文乃のことをこれからもどこかで思い出すのだろう。

    突出した才能も情熱も、誰かに愛される才能も、誰かを愛する才能も、何かにハマる素養もハマられる素養も、
    なりふり構わず何かを手に入れたいと思うほどの欲望も、哲学に向かうほどの切実さも、アカデミックな方面で活躍する才能も、誰かを虜にさせるほどの魅力も技術も、頭の中にあるものを形にするクリエイティブな力も、頭の中に形にしたいと思えるほど価値あるものが浮かぶような発想力もない。

    そんな浜野文乃が、平木直理さんと、かさましまさかさん(回文!)との出会いによって変わっていく描写が良かったですね。
    変わらなくてもいいじゃんと思わなくはなかったけど、それこそ内側に向けば向くほど見えづらくなることってあるから…。
    他人には他人の地獄があって、平気そうに見えていても実は抱えている事情があって、それを人に話せなくても、自分とは全然違う他人の話を聞いているだけで楽になることがある。このままでいいと思っていても、時には無理矢理にでも引っ張り上げてくれる存在が必要な場合もある。

    わたしは恋愛に興味がない人間なので、物語の核となる浜野さんとまさかさんの恋愛シーンはさらっと聴いたのですが、この二人の会話はどこまでも対等なのがいいなと思いました。浜野さんが「人間に戻った気がします」と言いたくなる気持ちが分かる。

    一緒に生きていくと思うと重いけど、一緒に老いて潰えていくんだと思うと、気が楽になります。何も成し遂げなくていいんだって、ただ朽ち果てていくんだって思うと、樹みたいで穏やかに生きていけそうです

    Audibleの朗読が日笠陽子だったのが最高でしたね。

  • 中村桃子『ことばが変われば社会が変わる』を読みました。

    『ことばが変われば社会が変わる』

    「ことばの変化」と「社会の変化」を相互的な視点で解説し、わたしたちの「言語観」を紐解いていく内容でした。
    普段生活する上で必ず目にするコンテンツ(広義)で、どのようなことばが使われて、それが社会にどのような影響を与えるかについては常々考えていたのですが、この本はそんな考えに補助線を引いてくれました。

    「否定的なことばをあえて使う」「ことばを増やす」
    ことばの意味が変化する三つの主要な過程「意味の拡大」「意味の規制」「意味の漂白」について興味のある方はぜひ読んでほしい。

    あと個人的に「言語イデオロギー」に関する解説を読むことができてよかったです。

    「言語イデオロギー」とは、話し手がことばの「使い方」に関して持っている信念や意識を指し、典型的には、ことばの使い方に関して、その社会で広く支持されている規範やルールを指す。
    「言語意識」や「言語観」と違って「イデオロギー」という用語が使われているのは言語に関する規範やルールは、たんなる考え方ではなくなんらかの規制や強制を可能にして、社会の一部の人たちの得になるという理解があるからだ。つまり、言語イデオロギーは、社会の権力構造をその射程に入れた概念なのである。(P152)

    「正しい」とされているルールを優先してことばを使うことって自分もよくあります。こういう場ではこのことばを使うのが礼儀だから⋯みたいな感じです。でもそれを礼儀としてるのは誰?と考えたとき、ああ社会の権力構造に飲み込まれてた⋯!と初めて自覚する。こっちの方が形式的に楽だからという理由で、ことばを選びたくないですね…(決意)

  • B.B. オールストン(著)橋本恵(訳)『アマリとナイトブラザーズ(上)(下)』を読みました。

    こちらは6月と7月に読んだ児童文学です。
    感想を下書きに入れたままだったので、投稿します。

    『アマリとナイトブラザーズ』

    192さんの表紙イラストに一目惚れして読みました。
    主人公は貧困層地区に住んでいる黒人の女の子・アマリ。ある日突然行方不明になった兄・クイントンを探すためにサマーキャンプに参加するのですが、そこで数々の摩訶不思議な体験をします。
    もしも地球上に、自分達の知らない並行世界があったら?
    その場所が「超常体が暮らす超常界」で、兄は超常界では有名な特別捜査官だったとしたら?
    自分が生まれながらの魔術師だと知ったら?
    超常界で魔術師の存在は敵だと認識されているとしたら?
    まさに超常魔術ファンタジーと呼びたくなる児童文学でした。現実離れした内容ですが、実際に自分がその光景を目の当たりにしているかのように感じられる文章ですごく分かりやすかったです。

    作者のあとがきで、この物語は最初白人の女の子を主人公に構想していたと打ち明けられてました。ただそれだとどうしても文章が進まず、自分が本当に書きたいものを考えて、結果的に黒人の女の子を主人公にしたとのこと。前例があまりないため、葛藤があったそうです。
    このあとがきを読んで、確かに貧困層地区に住んでいる黒人の女の子が主人公のファンタジー作品って読んだことがないなと気づきました。

    物語ではレイシズムや経済格差により不当な扱いを受け、「魔術師であること」を理由に差別されるアマリの様子も描かれています。
    権力を持つ者による圧力や扇動によって不利な立場に追い詰められながらも、行方不明の兄を探すために、自分の力を信じて突き進むアマリの様子に心を動かされました。

    自分にはどうしようもないことのせいで、他人は勝手に決めつける。ならばあたしは全力で、相手がまちがっていることを証明し、相手の思うつぼにはまらないようにするだけだ。あたしに対する考えを、ひとりずつ、変えていってやる。(P132)

    それと同時に、マイノリティはここまで強くならないと分かってもらえないのか…とも思いました。頑張り続けなければ存在を認めてもらえないのは悲しいし苦しい。

    だからこそ、アマリの味方になってくれる捜査官やドラゴン人間エルシーの存在に救われました。そしてアマリの頼れる相棒ディランとの結末を読んで一気に落ち込みました。

    いまは続刊『アマリとグレイトゲーム』を読んでいますが、相変わらず序盤から波瀾万丈で面白いです。この作品が映像化されているところを早く観たいです。

  • 須川亜紀子 編 著『2.5次元学入門』を読みました。

    http://www.seidosha.co.jp/book/index.php?id=3964

    そこに立つのは人間か、キャラクターか
    「2.5次元」――アニメ、マンガ、ゲームといった2次元のコンテンツを人間の身体という3次元において実現したもの。舞台やミュージカル、ライブコンサートなどを通して多くのファンによって見出されてきた2.5次元とはいかなる文化であるのか。多様な展開をみせるその現在形をさまざまな学問的な知見から探求する、これからの2.5次元文化研究のための画期にして、基本書。(青土社紹介ページより引用)

    わたしは2015年のライブ・スペクタクル「NARUTO-ナルト-」で2.5次元に魅了され、そこからさらに期間を空けてまほステにハマった人間です。
    しかし具体的に「2.5次元って何ですか?」と質問されたときに、答えるための言葉とイメージが圧倒的に足りないなと感じました。
    そこでこの入門書を読んでみたところ、「アニメや漫画などに登場するキャラクターを生身の人間が演じる舞台」と説明する以上の表現があることに気付きました。

    2.5次元を「文化実践」とすることで、複数の研究領域に分断するのではなく、むしろ相互に結びつけて考察することが可能になるという話も面白かったです。
    その中でモーションキャプチャーによるライブについて触れられていたのも印象的でした。

    薄暗い閉鎖空間で実体のないホログラムに向かって、他のファンとともに応援に興じる私たちの「体験」こそが、本来は空虚な存在であるホログラムのキャラクターに身体性を与えている。(p11)

    最近XlamVのライブ配信を「本物だ!」と言いながら観てたのを思い出しました。(31:30〜 観て!!!!!!)

    第6章の「見えないものを見ようとする――二・五次元舞台における「推す」観客と作り手の動的な相互作用/筒井晴香」は、テニミュにおける「ベンチワーク」や「定点」観劇体験に関する内容でした。
    行間を埋めるような形で、原作にはないキャラクター同士の物語が描かれること=キャラクター自身が自律性のある、自ら出来事を立ち上げていく存在になるという話がすごく面白かったです。私も生で舞台を観に行ったとき、舞台の片隅で動く推しキャラクターばかりに目がいきます(これが定点)。
    そしてこの「定点」観劇体験について、「他の舞台上の膨大な部分を見ないという決断を含む」「「見たいものを見たいだけ見られる」しかし「見ても見ても見つくせない(見れば見るほど、そのことに気づく)」経験」とも書かれており、その通りすぎてひっくり返りました。

    この本を読みながら、自分の中の解釈と作り手側の働きかけが融合する瞬間や感動を楽しむために、私は舞台に足を運ぶのかもしれないと改めて思いました。

    2.5次元はまだまだ奥が深いですね…

  • あさのあつこ「あなただけの物語のために——どうすれば自分を信頼できる?」を読みました。

    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480251596/

    No.6の舞台を観て、原作を読んだ後、物語があまりにも現実すぎて動揺したことを覚えている。

    自分の中でかなりの衝撃を受けたと同時に、いま出会うことができてよかったと思った。

    そんなときにたまたま見つけたのがちくまQブックスから出ているあさの先生の本『あなただけの物語のために——どうすれば自分を信頼できる?』だった。

    全体的な内容は自分だけの物語を書くための方法論だった(字スケッチゲーム等)。
    でもただ“書くための方法論”じゃなくて、自分という一個人と社会がどのように関わっているかを紐解いて繋ぎ直す作業が物語を作ると書かれていた。

    特に印象に残ったのは以下の言葉です。

    わたしは「日本に国籍があり」「地方に住んで」「働いている」「高齢の」「女性」だけではありません。それは、わたしのごく一部にしか過ぎないはずです。わたしはわたしで、一個の人間です。他の誰でもないし、塊として溶けたりはしません。生まれたときからそうです。

    (引用:あさのあつこ「あなただけの物語のために——どうすれば自分を信頼できる?」P32)

    人は溶けません。

    ドロドロに溶けて塊の一部になったりはしないのです。溶けたように見えても、必ず個は残ります。個、です。あなたはあなた、わたしはわたしという個です。どれほどの圧が加わろうと、どれほどの熱が加わろうと溶けない個です。

    (引用:あさのあつこ「あなただけの物語のために——どうすれば自分を信頼できる?」P35)

    人間はそう簡単に分別できない。自分の存在も、他者の存在も、塊として溶けたりしない。
    誇張抜きで、この文章を読んだとき泣きました。

    どの文章も力強さに溢れていて、自分自身を鼓舞してくれる内容だった。

    平凡社のなんだろう?シリーズとちくまQブックスのシリーズ全部集めたい。

  • アラン・ド・ボトン(著)、齋藤慎子(訳)『メランコリーで生きてみる』を読みました。

    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784845923335

    世界は不完全で残酷。
    だからせめて、悲しみとうまく付き合おう――

    〈メランコリー〉には、現代社会を生き抜くヒントが満ちている。
    哲学者アラン・ド・ボトンが、歴史、アート、宇宙、建築、旅……など35のテーマから探るその効能とは?
    幸せの押し付けに疲れたすべての人へ送る、深い悲しみに対するなぐさめの書。

    メランコリーとは「物事を深刻に悲しみ、意気消沈したり 積極的に行動する意欲を失ったりする病的症状。」らしい(出典:新明解国語辞典 第八版)。

    不完全なままで生きていく一助となる本ではある。

    ただ同時に、メランコリーといっても誰もが必ずしも共通の認識を持てるわけではないとも思った。この本を読んでる途中で何度か「そうか⋯?」という疑問も浮かんだ。(※わたしは他者に恋愛的惹かれや性的惹かれを感じないaroaceなので、「セックスとメランコリー」「性交渉とメランコリー」はいまいちピンとこなかった。

    ただP158の「だれの居場所でもないから、だれの居場所にもなりうる。」という言葉にはグッときました。旅に関する章に出てきた言葉だけど、なんならわたしがそのような存在になりたいとまで思った。

  • 長谷川まりるの『杉森くんを殺すには』を読みました。

    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784774334837

    あらすじ

    ――「杉森くんを殺すことにしたの」
    高校1年生のヒロは、一大決心をして兄のミトさんに電話をかけた。ヒロは友人の杉森くんを殺すことにしたのだ。そんなヒロにミトさんは「今のうちにやりのこしたことをやっておくこと、裁判所で理由を話すために、どうして杉森くんを殺すことにしたのか、きちんと言葉にしておくこと」という2つの助言をする。具体的な助言に納得したヒロは、ミトさんからのアドバイスをあますことなく実践していくことにするが……。

    傷ついた心を、取りもどす物語

    タイトルを見てミステリーなのかな?と思って読んでみたらトラウマとケアの話だった。

    ※書籍冒頭にもトリガーワーニングがありますが、自死や自傷に関するエピソードが出てきます。

    回復は「もとのよい状態に戻ること」だけど、そうではなく、ままならない感情と「一緒に生きていくこと」を決心する物語。複数の依存先をもってあちこちに相談することもテーマになっているから、主人公の友人が言った「みんなで分け合ってこうね」という言葉や、あとがきの内容・相談場所の提示もすごく大事だなと思った。

  • 宮川健郎『物語もっと深読み教室』を読んだ

    https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784005007394

    国語の授業で様々な作品に触れ、大人になった今でもいろんな本を読んでいるつもりだったが、もしかすると表面上しか見えていない/理解できていなかったかもしれないと気付きました。
    ※この気付きは嬉しいほうのやつです。
    岩波ジュニア新書なので物語を深読みするための基礎知識が書かれているのですが、やっぱり何事も基礎が大事ですね。

    「物語」の読み方には二通りあるのではないかと思っています。「何が書かれているかと考えながら読むことと、「どのように書かれているか」と考えながら読むことです。
    「何が書かれているか」は、「物語」の内容や主題を読むこと。それに対して、「どのように書かれているかは、「物語」の表現や構造を読むことですね。(P56〜57)

    この二つは一体になっているが、どちらを強く意識するかによって読み方は違ってくるそうです。面白〜い!
    これを考えたとき、わたしの場合は物語内における社会情勢や身分、ジェンダー表象に重点を置いて読んでるかもな〜と思いました。

    他にも語り手と作者の関係性や児童文学とファンタジーなど…わたしが気になっていたカテゴリーについて解説されていたので視野が広がりました。

    そして読むことと書くことは繋がっており、「どんな文章でも、書かれたものは、現実への批評をふくんでいる(P205)」のだそう。

    タイトル通り、物語をもっと深読みしたいと感じさせてくれる本でした。