Netflixで『PLAN75』 を観ました。

夫と死別してひとりで慎ましく暮らす、角谷ミチ(倍賞千恵子)は78歳。ある日、高齢を理由にホテルの客室清掃の仕事を突然解雇される。住む場所をも失いそうになった彼女は<プラン75>の申請を検討し始める。(引用:『PLAN75』公式サイトのあらすじより)

まず最初に、架空の話とは到底思えなかった。それくらい現実だった。健康診断会場や炊き出しの場所に<プラン75>の申請窓口が隣接しており、そこには「住民票が無くても申請可能」と掲げられている。支援の場所のはずが、人の命を効率的に切り捨てることができる場所になっているのが悲しかった。そして市役所の生活支援相談窓口は早々に閉まるが、<プラン75>関連のコールセンターは24時間営業だ。そのうえ<プラン75>に申請した人には10万円の給付金がもらえる。たったの10万円。10万円という数字が妙にリアルじゃないですか?そういえばコロナ給付金も10万円だった。こんな少額で何が出来るんだろうと思ったけど、何もできないからこの額なんだろうな。これより多い金額をもらったら人生に希望を持ってしまうし、“支援”になったら“国が”困るもんね。

あと市役所の職員ヒロムが公園のベンチに寝そべりながら、「これだったら寝れないですね!」と笑顔で言っていたのも恐ろしかった。映画で「排除アート」が生まれる瞬間を目の当たりにするとは思わなかった。

人権を蔑ろにし、人の命を生産性で判断する。社会的に弱い立場に置かれた人を価値がないと排除する。役に立つ/役に立たない/自己責任/自助努力という言葉、差別的な言説が蔓延するこの社会の不寛容さがたどり着く先がこうなる可能性は大いにある。国の失策が個人の責任に置き換えられ、本来支援されるべき人が結果的に排除されてしまうのはあってはならないことだと思う。死に方を選ぶ/尊厳死と言われれば、聞こえはいいかもしれない。でも選択肢を極端に狭められて、結果的に選ばされた死は自由意志ではない。この架空の世界を架空のままで終わらせるために何が出来るのか、考えていきたい。

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