
哲学することは、世界をよく見ることだ。くっきりしたり、ぼやけたり、かたちを変えたりして、少しずつ世界と関係を深めていく。揺さぶられ、混乱し、思考がもつれて、あっちへこっちへ行き来する。これは朝に目を覚ましたときの感覚に似ている。世界に根ざしながら、世界を見ることはいかにして可能だろうか。(引用:「まえがき」より)
朝の通勤ラッシュと労働がつらい。
このつらさの原因は一体何なのか、この本を読んでようやく分かったような気がする。周囲の速さについていけないからだ。電車の乗り換え、質問されて回答するとき、頼まれた仕事に取り掛かるときetc… 必ず速さを求められる。しかもその速さは的確さの上で成り立つことが大前提とされている。思考と答えにも速さが必要な世界なんだ。新自由主義的な資本主義に支配された日常。そんなの当たり前じゃんと思われるかもしれない。でもわたしの場合こういった速さに遭遇するたびに、その事実に絶望する。あまりにも速すぎる。もっと効率よく。問いは許されない。世界は「そういうもん」になっている。でも果たしてそうだろうか。
わたしはわたしのリズムでどこをどうやって歩くか考えたいし、言葉を探したいし、選びたい。それこそ「わたしの人生は、わたしが決められて、本当だと思っていることにも、本当に?と思っていい」。そして知らない誰かにも、そうであって欲しいなと願う。あなたのことをもっと気にかけたい。
だからこそフィクション作品のコミュニケーションや対話の描写に希望を抱いている。この本には人との哲学対話の様子が書かれているけれど、こんな風に人と話していいんだということを思い出した。本当に忘れていた。日常の些細な出来事、漠然とした考え、空想の話。ままならない、まとまらない自分とあなたがいてもいい。
すぐに形にして的確に伝える言葉は鋭利になっていないだろうか。もっとやわらかくて、弱い自分とあなたが存在していることを思い出そう。考えよう。哲学しよう。